精霊界に生けるいのちは、精霊に限らない。
動物、植物、光粒、闇影‥‥総てに語らえばココロが眠っていることが証明される。
しかしその証明は完全ではなく、精霊と他種のいのちの共存は未だ、発展途上である。
[精霊の敬愛事由/著・ドロゥジーより引用]
***
くんくんくん。
なんだか、いい匂いがしませんか?
思わずヨダレが出ちゃいそうな、あま~いかおり‥‥。
ちょっと覗いて見てみましょう。
森の中に、石造りのコテージがありますね。
ほら、大きな煙突から漏れ出るにおいに釣られて、森の動物たちも集まってきたみたい。
こっそり扉を開けると、たくさんのリスが小さなティーカップの準備をしています。
そして奥にあるキッチンでは、何やら岩石がうごめいているように見えるけれど――
あっ! 風の精霊ドン・ウーだったようです。これは失礼しました。
ドン・ウーは、可愛らしいエプロンを纏って、お菓子を作っています。
エプロンはもともと彼の好みではなく、リスたちがプレゼントしてくれたもの。
はじめこそ恥ずかしがっていましたが、今ではすっかりお気に入りになんですって。
そんなドン・ウーのいつも隣にいるのは、今回のおはなしの主役。
みなさんなら、すぐにわかりますよね。
そう。子リスのウーくんだよ!
美しい自然がいっぱいの風の聖域には、
おいしいクッキーを作る材料がたくさんあるんです。
甘酸っぱい、お花の蜜。
香りだかい、緑の葉っぱ。
どこまでも透き通った、冷たいお水。
それと、ウーが拾ってきたいっぱいのドングリ。
とびっきりたくさんのドングリの実をすり潰して、
生地にたーっぷり練りこむと、とってもサクサクになるんですよ。
「よっし、できたゼ。 ウー!」
わーい! わーい!
ドングリも、クッキーも、ドン・ウーも、
みんな大好きなウーは、両手を上げて大よろこび!
オーブンを開けると、お花の形に象られたクッキーがいーっぱい。
ドン・ウーはできたてをふーふーして冷ますと、
小さなクッキーを一枚、ウーにくれました。
ひとくち食べるだけで口の中いっぱいに広がる甘い味は、
ウーも特別な瞬間に浸れる大好きな味。
「なあ、ウー。
今からコレをダチに届けてくるから、お前はここで待っててくれよな。」
ドン・ウーは先に作っておいたクッキーを器用に袋に詰めていたけれど、
なにか思いとどまって手を止めました。
そう、風の精霊であるドン・ウーは、闇の聖域内に籠りっきりの
アモンに会いに行くのが難しいことに気が付いたのです!
ドン・ウーとアモンの出会いは、とっても偶然。
普段は実験室からほとんど外に出ないアモンが、
たまたま実験材料を探しに来ていた時にぶつかったのがきっかけなんです。
後で聞いた話によると、今まで外の空気を吸ったのは二回しかないんですって‥‥。
ドン・ウーは岩石にいのちを宿した精霊で、岩をつなぎ合わせた強面。
アモンは奇怪なマスクに、ツギハギだらけの服。
どちらも少し近寄るには勇気のいる外見同士で、境遇が似ていたからでしょうか?
それからドン・ウーは、アモンの話ばっかり。
ウーはアモンがどんな精霊なのか、ずっと気になっていたんです。
アモンに自慢のクッキーを届けられないことで、
ドン・ウーが少しさみしそうな顔になったのを、ウーは見逃しませんでした。
ウーも、ドン・ウーの親友。
”ちょっとした心境の変化も見落とさないのが親友というものだ”って、
教えてくれたのはドン・ウーなんです。
ウーはドン・ウーの持っていた袋にぶら下がって、言いました。
リスである自分なら、属性など関係なく闇の聖域に入ることができるって。
親友が困っていることなら、自分が助けになりたいんだって。
そんな想いをまっすぐに伝えるように、つぶらな瞳で見つめられちゃうと
ドン・ウーは邪険にするわけにはいかないですよね。
「ウー‥‥ありがとうな。じゃあ、任せるゼ。
このクッキーを、アモンのヤツに届けてくれよ!」
ウーは大きく頷くと、袋をくくりつけられて準備バンタン!
見送るドン・ウーを安心させるように、勇ましい背中で語って、いざ出発ー!
ウーくん、がんばって!
大きなツボに焚かれた、ほかほかのごはん。
ついつい興味をそそられて、寄り道をしちゃいます。
ウーくんウーくん。おつかいは大丈夫?
「おお! かんわゆいリスじゃのう。わらわは、リスがだーい好きじゃ!」
チッチと舌を鳴らして招かれると、ぴょこんとマチネーの肩に飛び乗りました。
炊き立てのおこめが漂わせる蒸気は、息を吸い込むだけで少し甘いような、
とにもかくにも幸せのにおいで、ウーの表情はもうトロットロ。
マチネーはごきげんに口笛を吹きながら、小さな手でご飯をすくいます。
まずは簡単に丸い形を作ってから、親指で柔らかく中心をへこませて‥‥。
「ほう、おぬし。この料理が何なのか知らないんじゃな?
カッカッカ、特別に教えてやろう。」
そしてマチネーは、たくさん準備してある具材の中からケモの肉を選んで、
真ん中にちょいちょいと乗せて、おこめをにぎにぎ。
最後にさんかくの形にすると、鼻高々にポーズを取って言いました。
「これは、『おにぎり』というんじゃ!
ほかほかのごはんに好きな具を入れて‥‥おいしさ無限大じゃぞ!」
にぎにぎするから、おにぎり。
つやつやのおこめがあっという間に三角形になる様子は、まるで魔法みたい!
日々あらたな味を探し求めているマチネーは、
森の食材に精通していそうなウーに、何かめずらしい食材を知らないかと聞いてきました。
ウーは森の中を見渡しますが、どれも毎日食べているものばっかり‥‥。
せっかくだから、大好きなもの――ウーの大好物がいいなぁ。
そしてつい、ウーはドン・ウーに頼まれたクッキーの袋をあげちゃった!
ウーくん! それはおつかいに必要な、大事なものだよ!
クッキーを受け取ったマチネーは、一瞬いぶかしげな表情を浮かべたけれど、
その斬新な提案に心を打たれたのか、好戦的に笑みを浮かべました。
そして、何より。
このクッキーが、とても美味しそうに見えたのでしょう。
「カカカッ! クッキーのおにぎりか。これは珍しいものができたぞ!
ほれ、これを持って行け。その代わりクッキーはぜーんぶ、わらわがもらうがの。」
あらあら。おにぎりのお代は、結局クッキーで支払われちゃった‥‥。
ウーは仕方がないと、とことこ森の出口へ向かいます。
ウーくん、大丈夫かなぁ‥‥?
ぽつぽつ、ぽつ。
森の中を歩いていると、雨が降ってきました。
ウーは慌てて雨宿りをしようと走り出したけれど、
足を滑らせて、ぬかるみに落ちてしまいそうになったそのとき――
「じゃァアいやー!!!」
――という大声と共に、すぽんと穴から引っこ抜かれて危機一髪。
細い腕のかかしが、ぬかるみにはまったウーを助けてくれました。
「ふー、助かったじゃいやー!
オメー、小さいのにこんなとこいたら危ないじゃいや!」
蓮葉の傘をさして現れたのは、風の精霊マヘティ・ポポ。
ウーがお礼の言葉を伝えると、ポポはおもむろに豆をばらまき、
雨に打たれながらウーの生還をお祝いしました。
ひとしきりまき終えると、ポポはウーに向き直って、
どうしてこんなところにいるのかと、興味本位に聞いてきました。
ウーが、とにかく闇の聖域に行きたいと伝えると、
ポポはふむふむと頷いて、暗がりになった空の方を傘で示しました。
「闇の聖域は、まだまだ遠いじゃいや!
オデがついて行ってあげてもいいけど、オデちょっと忙しいじゃいや‥‥。」
目的地の方向が分かると、ウーはいのちを助けてくれたお礼も兼ねて、
ちょっとだけ悩んでから、マチネーのおにぎりをあげました。
するとポポは、雨に打たれて濡れネズミになったウーにお返しにと、
ぷちっとクローバーを抜いて、小さな傘をくれたのです。
お花のように広がった、四葉のクローバー。
四葉のクローバーは、しあわせのかたちだもの。
「ケガしないように頑張るじゃいやー!
オデは、先輩に頼まれたおつかいに行ってくるじゃいやー!!
今度いっしょにたい焼きパーリーするじゃいやー!!」
おやおや。ポポはちゃんと、おつかいに行くみたいだよ!
ウーくん、クッキーはどうするんだろう‥‥?
雨はいつの間にか止んだのか、雨粒を弾く蓮の傘を払っていると、
くすくす笑う、誰かの話し声が聴こえてきました。
緑に囲まれて‥‥風の精霊ドリアリーの柔らかなベールが、風に吹かれて揺れています。
ドリアリーはいつも優しく可憐で、森にすむ動物や精霊みなに愛されて。
憧れの的である彼女は、ウーの知らない男の子と話をしているみたいですよ。
ウーはどうしても気になって、ふたりの間に入っちゃった!
傍らでドングリを積み重ねて山を作っている子リスは、ウーの友達。
彼は名もなき少年のために、食糧を採ってきているのだと教えてくれました。
しかし、ウーは食べ物を持っていません。
何かないかと辺りを見回していると、ふとドリアリーから仄かに甘い匂いがしました。
ちょろちょろと彼女の背後に回ると、どうやら葉包みから香ってくるようです。
もじもじする彼女をよそに、その様子に気が付いた少年が包みを取って開くと、
『不可思議な形の、何かかたいもの』が入っていました。
ドリアリーお手製のクッキーなのですが、
毎日ドン・ウーの作る、完璧なお菓子を見ているウーにとっては、
それをクッキーと認識することができませんでした‥‥。
ドリちゃん、ごめんなさい。
「ごちそうさまでした。美味しかったです。」
「‥‥もう、付いてるわ。」
『不可思議な形の、何かかたいもの』を食べ終えた少年とドリアリーは、
ウー達の入る隙間のないほどしあわせな雰囲気でした。
そんなふたりを見て、ウーもしあわせな気持ちになって、
もっとたくさんのしあわせをプレゼントするように、
四葉のクローバーをそこへ置いて、その場をあとにしました。
木々に囲まれた森林に慣れ親しんできたウーにとって、
森の外は、はじめての世界です。
おかしな氷のオブジェや、美味しそうなお店の立ち並ぶ商店街。
にぎわう広場は、火、水、光‥‥いろいろな属性の精霊で賑わっていました。
ウーが少し緊張してきょろきょろと辺りを見回していると、
ドンと勢いよく何かにぶつかって、転がってしまいました!
頭を抱えて見上げると、大きなカラダに、鋭いキバ。
ギラリ光った眼光に、ウーは思わず丸くなって震えるしかできません。
しあわせでいっぱいだったココロが、気が付けばコワイコワイになっちゃいました。
しかし対峙した猛獣は、そんなウーを手のひらに乗せて豪快に笑います。
「ガァッハッハッハッハッ!!
俺はウォーミッチッ! お前の名はなんだッ!?」
そう。猛獣かと思われたのは、光の精霊ウォーミッチ。
ついいつもの調子で挨拶してしまいましたが、
小動物を怖がらせてしまったことに気が付いたウォーミッチは、
ポリポリと後ろ頭をかいて、ばつの悪そうな表情を浮かべました。
ウーには、それがふとドン・ウーの姿と重なって見えました。
外見で勘違いされてしまい、いつも相手に気を遣って引き下がる親友。
本当は、ココロは誰よりも優しいのに。
はじめてドン・ウーに会ったときも、ちょっとだけその強面に驚いてしまったけれど、
今のウォーミッチと同じように、怖がらせないよう明るく自己紹介してくれたのです。
ウーはウォーミッチにも同じようにココロを開くと、
自分の名前が”ウー”であること、
そして闇の聖域に向かいたいことを身振りで伝えました。
するとウーが好意的に応えてくれたのを見て、ウォーミッチは満面の笑顔になりました。
その顔を見たウーも、なんだか嬉しそう。
ウォーミッチはたくましい武骨な手にウーを乗せて、噴水の向こうを仰ぎ見ました。
「闇の聖域は、あっちの方だッ! だが俺は、今から子分たちとメシに‥‥。
‥‥んッ? どうしたッ?」
小さな身体でまだ子どものウーは、森の中でもそうそう高い木に登ることはできないので、
こんなに高い場所から世界を眺めたことがありませんでした。
はやく大きくなって、おとなになりたい。
ウーはそう思いながら、きらきらとした瞳で街並みを見下ろしていました。
ウォーミッチは、そんなウーの横顔に口角を上げると、
そっと地面に返してから、いったいどこから出したのか大きな骨付き肉をくれました。
「おい、リスちゃん‥‥じゃなくて、ウーッ!
この肉を食って、おとなになったら会いに来いッ!
俺よりもデッカくなれよッ! ガァッハッハッハッハァ!!!」
ウォーミッチはウーにひとつウインクをして、
またズシンズシンと地を鳴らしながら、去っていきました。
ウーは、こんなに大きなお肉を見たことがなくて、
これを食べきるころには、きっと一生、それ以上はかかってしまいます。
気がつけば小さなクッキーは、今ではこんなに大きなお肉になっていました。
大きなウォーミッチが食べる、大きなお肉。
自分よりもずっと大きなそれを見上げて、ふぅと息を吐きました。
こんなに歩いたんですもの。疲れちゃって、当たり前。
ウーはお肉に背中を預けて、うとうとと眠りにつきそうになって――
でも‥‥どこか様子がおかしいみたい。
夜だとしても、何も見えないくらい真っ暗だなんて。
それになんだか、生ぬるいような‥‥。
ウーはふと、昔からリス界に伝わる童謡を思い出しました。
”なんでもたべるよ、やみーやみー。
ごはんもおかしも、やみーやみー。
おにくとおさかな、やみーやみー。”
”やみーやみーは、くいしんぼう。
ぺろりたべたら、やみのなか。
とかされちゃったら、さようなら。”
ペロリ食べたら、闇の中。
溶かされちゃったら、さようなら――。
そう。ウーは、”やみーやみー”の口の中にいたのです!
ペロリ食べたら‥‥あとは溶かされるだけ。
3、2、1‥‥ウーくん、アーメン。
「ラーメン!? タ、タベタイタベタイ!!」
ウーが覚悟して手を合わせた瞬間、なんと口の中からペッと吐き出されました!
そしてその後すぐに続けて、カランカラーン!
べちょべちょになった大きな骨が落ちてきました。
肉片のひとつも残ってなかったけれど、ウォーミッチのくれたお肉の骨でした。
「ウガガ‥‥オレ、ハラヘッタ。
ラーメン、クイニイク‥‥。」
”やみーやみー”と謳われていた怪物の正体は、闇の精霊ヤムヤミー。
ウーごと丸飲みにしちゃったけれど、食べたかったのはお肉の方だったみたい。
よかった、と安堵したウーくんなのでした。
ルムーピィは、この骨が欲しいと言っているようですが‥‥
ウーくん、どうするんでしょう?
持ち運びに困っていたウーは、すんなりと骨をあげました。
ルムーピィは眠ったまま、とってもとっても喜んで飛び跳ねます。
大きな骨を、ルムーピィはひとりで投げては取って、取っては投げて。
ウーはその様子を見てわんこを飼う主のような、そんな和やかな気持ちになりました。
しかし骨を取りに行ったまま、ルムーピィがなかなか帰ってきません。
ウーが心配になって立ち上がると、突然目の前にたくさんのお花がぶわっと咲きました。
なんとルムーピィが骨をくれたお礼に、お花を摘んできてくれたのです。
見たことのないお花がいっぱいで、ウーもとってもとっても喜びました。
でも、少しおなかが空いちゃいました。
だってウーは、クッキーもおにぎりも、たい焼きも骨付き肉も、
ひとくちだって食べられていないんですもの。
気持ちよく歌い続けていると、どこかから美しいコーラスが
ウーの歌に合わせて聴こえてきました。
だんだんと声が大きくなり、そこへ現れたのは――光の精霊ゲムリンです。
「今の歌、とってもステキねえ!
ねぇ、君。そのお花、私にくれる? 素敵な音にしてあげるわよ!」
ウーはゲムリンの美しいコーラスに感動して、
言われるままにルムーピィにもらった花束を渡しました。
ゲムリンが真っ白の紙を手にして、アカペラで曲を奏でると、
お花が一輪ずつゆっくり宙に浮きはじめ、キラキラ輝きながら音符の形になりました。
そのまま紙に光の線が走り、五線譜が描かれた後に音符が載ると、
お花の香りがする楽譜が完成しました。
ゲムリンは楽譜を一通り眺めて頷いて、満足げにウーへ返してくれました。
「はい、どうぞ! これは、君が生んだ音楽よ!」
ウーははじめての楽譜に胸を躍らせて、楽譜を握りしめながらゲムリンとお別れしました。
そしてウキウキしながら楽譜を見ると‥‥ウーは大変なことに気づきます。
ウーくんは、楽譜が読めないのでした。
なーんだ、がっかり!
ヒロタンは、折れないように楽譜をくるくる丸めると、空っぽの瓶をウーにくれました。
いつか必ず役に立つことがあると、ヒロタンは言います。
相変わらずその感情は読めず、真偽のほどは分からなかったけれど、
ウーはヒロタンのそういうところが好きですし、信じていました。
こうして楽譜と小瓶を交換し、今日はバイバイ。
優しいおともだちがいっぱいで、良かったね。
闇の聖域までもうすぐだよ、ウーくん!
ウーは心臓が飛び出てしまいそうなほどに驚いて、小瓶から落ちてしまいましたが、
苦しそうな声が聞こえると、急いで駆け寄ります。
ウーは困っているヒトを見捨てられない、ココロ優しく勇敢なリスなのです。
が、しかし。そんな優しさも今は仇になるとは、ウーは思いもしませんでした。
もしもし――と近づいたが最後、
どうやら泣いているのではなく、笑っているなんて。
そこにいたのは、水の精霊サキマ。
華奢な手に強い力で掴まれると、もう逃げられません。
氷のように冷たい体温に、ウーは意識が薄くなっていきました。
「ありがとう、私を愛してくれるあなた。
でも私のココロは、あのヒトのものなの‥‥うふ、うふふふ‥‥。」
***
――その後、延々とサキマの話を聴かされて丸一日。
うっすらと笑みを浮かべるサキマに身体を揺すられて、ウーは目を覚ましました。
まだ少しまどろむウーに彼女が差し出したのは、小さな瓶。
どうやらヒロタンがくれた物のようですが‥‥中に何か入っているみたいです。
「愛のあるあなたに、特別なプレゼントをあげます。」
サキマは、ひた‥‥と頬を擦り寄せたあと、小瓶を差し出してウーに贈りました。
ヒロタンが言っていた”いいことがある”というのは、このことでしょうか?
でも、ウーくん。その瓶の中身、大丈夫‥‥?
”じっけんしつはコチラ→”と、可愛らしく魔法陣や悪魔の描かれた案内板が立っており、
疑いながらも従って歩いていくと、迷わずに到着することができました。
闇の精霊たちは禍々しく装っているだけで、意外と優しい集まりなのかもしれませんね。
辿り着いたはいいものの、小さなウーには高い位置にあるノブは回せません。
頭上を見上げるウーの上に、突然白いカーテンが被さりました。
するん、と布が目の前から抜け視界が開くと、それは白衣だったことが分かりました。
ウーには気が付かず、研究員のような風貌の精霊が実験室へ入って行ったので、
この精霊がアモンなのだと確信しました。
ウーが室内へ向かう相手の白衣を掴むと、存在を認識させたはいいものの、
傍らに置いていた赤い小瓶を、半ば強引に取られてしまいました。
「ん? やぁ、びっくりしたな。
君、いいものを持っているじゃないか。ちょうど困っていたんだ。」
そういうと、白衣の精霊はつんとキツい薬の匂いのする室内へ入り、
電気も点けずに何かの記録を取っています。
仄暗い部屋では、赤や黄や青といったいかにも怪しい液体が煌々と光り、
巨大な窯には緑色の液体がぐつぐつと煮え立っていました。
「オンギャーッ!」
すると突然、窯の向こうで絹が裂かれるような叫び声と、何かが倒れる音が聴こえました。
ウーはびっくりしてその場にうずくまりましたが、
その後に続いた会話に、ふるふる震えるまん丸の耳がピクンと反応しました。
「アア‥‥アアアア‥‥。」
「はぁ‥‥アモン、また君か。
実験をするのに”コレ”が苦手で、いちいち倒れられたら邪魔だって言っただろう。」
‥‥おや?
先ほど赤い小瓶を持って行った精霊は、アモンではなかったようですね。
地下実験室で白衣を着ているものは、彼以外にもいるのです。
ボロきれのように床に伏しているアモンを放っておいて、
白衣のポケットをごそごそと探りながら戻ってくるのは、闇の精霊ドロゥジー。
「お礼と言ってはなんだが、このお菓子をあげよう。
昨日の女子会とやらで、美味しいからと分けてもらったんだ。」
ドロゥジーがポケットから出したのは、森の香りのする袋。
そうです。なんと、正真正銘ドン・ウーお手製のクッキーだったのです。
どうやら昨日、精霊の女の子たちで開かれている女子会があり、
その時にマチネーから、おすそわけされたとのことでした。
ドロゥジーは、ウーが大げさに驚いているのを見ても別段気にも留めずに、
助かったと礼を述べ、机へ向かう途中に振り向いて言いました。
「ふだん、こういうものは食べないんだけどね。
おいしかったから、お礼に持って行くといい。」
そうして椅子に腰を下ろした後は、ウーが声をかけても答えてくれませんでした。
すでに意識が研究に没頭しているようで、小瓶の蓋を開けると一気に窯に注いでいきます。
一方、”コレ”を見て卒倒してしまったアモンはそのままでした。
糸の切れたような彼に声をかけると、うっすら意識を取り戻しました。
ウーはたどたどしく、ドン・ウーのクッキーを差し出します。
それを見て、アモンはカタカタ震えている木の枝のような腕を上げ、
なんとかウーに向き直ってくれました。
「オ‥‥、この香り、は‥‥。アイツ、の‥‥‥‥。
小さきリス、よ‥‥恩に着よ、う‥。俺の名はアモ、ン――。」
ウーは、指の一本を掴んで握手をすると、アモンは緩く握り返してくれました。
そして一枚クッキーをかじると、ツギハギのマスクは表情を変えませんでしたが、
彼が喜び、ココロは笑顔になっていることがウーには分かりました。
「‥‥ウーと、言うのだ、な‥‥。
いつも茶会、を‥‥ありがと、う‥‥。クックク‥‥クルルック。」
なんとアモンは、リスであるウーの言葉を理解してくれました。
彼も、ドン・ウーと同じ。
顔がちょっとだけ怖いだけで、本当はとっても優しいのです。
ウーは、アモンともきっと親友になれると確信しました。
めぐりめぐってウーの元に戻ってきたクッキーをふたりで食べながら、
今度はおともだちをいっぱい呼んで、ドン・ウーと、アモンと、
みんなでお茶会をしたいなと思ったのでした。
おつかれさま、ウーくん!
ありがとう、ウーくん!!
~おしまい~