精霊のいのちは、有限なものと無限なものが或る。
いのちあるものはその源を分け合い、新たないのちと備わるココロを生み出すことも可能である。
しかし永年のいのちを持つものは、それらを分け与える能力は無に帰されている。
[精霊の敬愛事由/著・ドロゥジーより引用]
***
むかしむかし、精霊界に大きなガレキの山がありました。
毎日誰かが壊れて要らなくなった部品を運んでくるので、日に日に大きな山になってゆきました。
一度捨てられた部品には、もう二度とお迎えは来ません。
雨の日は冷たい雨水に打たれ、雪の日は凍った結晶を積もらせて。
閑散とする中、ひとりでに動き出したガラクタがありました。
ガラガラガラ‥‥。
カランコロン、カラン。
――おや?
今、詰まれた廃棄物の崩れる音が聞こえませんでしたか?
少し前まで転がっていたガラクタが、なんとひとりでに動き出し
身体のわりに長い手足を動かしはじめました。
ひとしきり調子を確かめ終えたのか、
今度は大きな瞳でを動かして、キョロキョロと周囲を見回します。
その日いのちを持ってから、長いあいだたったひとりで
ガラクタは、ガレキの山に住んでいました。
不思議な模様で飾られたツボを頭にかぶってみたり。
何に使っていたのか分からない装置を背中につけてみたり。
小さな三角帽や、魚の形に象られた部品をあてがってみたり。
気に入ったとか、必要だとか、そういった意味ではありませんでした。
そこにそのガラクタがあったから、くっつけてみたのです。
おそらく彼にとっては、ただそれだけのことでした。
そして、もうひとつ。
誰かがガレキを捨てた音。
小さな動物や、鳥の鳴き声。
いのちを持つ前から親しんだ音を組み合わせて、
ちいさなガラクタは、カナンダモラという名前を持ちました。
不揃いの青銅板でできた足でガレキを踏み鳴らしていると、
遠くからガヤガヤと声が聴こえ、誰かが近づいてきました。
いつものように、ガレキを捨てに来た様子ではないようでした。
カナンダモラがひょっこり頭を出すと、
「よわむしー!」と乏し文句を吐いて、いわゆるいじめっこ達がその場を後にします。
カナンダモラのことなど見えていないかのように、駆け足でどこかへ行ってしまいました。
そこへうずくまっていたのは、小さな花を纏った葉‥‥に見えましたが、
よく見ると、それはただの葉っぱではありません。
彼は、風の精霊ダラッサラです。
気が弱いわけではないけれど泣き虫で、母親から離れられないことをよくバカにされています。
きっと今も、同じようにからかわれていたのでしょう。
「オメ、ナイテルモラ? ドウシテ、ナイテルモラ?」
「ひっく、ひっく‥‥。ぐすっ‥‥い、イジメられてなんかないんだからな!
コ、ココロがあるから泣いてるんだい!」
「『ココロ』? ヨクワカランガ、ソレヲステレバイイモラ。」
ずっとひとりだったカナンダモラは、ココロという言葉を聞くことさえ初めてでした。
ダラッサラは、ココロは普通、いのちとともに持ち合わせるものだと言います。
しかし、無機質なガレキから生まれたカナンダモラにとって、
ココロがないことは当たり前でした。
「何言ってんだよ、お前。ぐすっ。
俺がココロを捨てたら、ママが悲しむだろーっ!!」
「“ママ”ガ、カナシムモラ?
ソレナラ、ソノ“ママ”トヤラノ、『ココロ』モナクセバイイモラ。」
「お前、バカか!? そもそも、ココロなんか捨てられるわけないだろーっ!
バカバカッバーーカ! だから、ママ以外はキライなんだい!!」
ダラッサラは鼻をぐずらせながら、
ぴゅーっとその場を後にして、森の方へ行ってしまいました。
カナンダモラは何気ない質問をしたつもりでした。
予想していたよりもずっと強い反撃にショックを受け‥‥たかのように見えましたが、
カナンダモラには、ショックを受けるココロもないのです。
ココロとやらを持っているせいで泣いているのに、どうして大事にするのだろう。
カナンダモラには理解ができず、とてもココロが欲しいとは思えませんでした。
ココロが無ければ、苦しむことがないからです。
悲しみを感じなくて済むから、楽なのです。
小さくなってゆくダラッサラの背を見つめつつ、
カナンダモラはまた新たな疑問を持ちました。
子ドモノ『ココロ』ガ無クナッタラ、ドウシテ“ママ”ガ悲シムモラ?
自分ノ『ココロ』ガ、無クナルワケデモナイノニ、変モラ。
***
なんとなく、ガレキの山を下りてみました。
カナンダモラにとって、山の上からではない景色を見るのは初めてでした。
広がる分かれ道の先、赤を纏う聖域に足を踏み入れました。
ここは、火の聖域。もちろん火に属する精霊でないと通れないのですが、
カナンダモラは、どうやら火属性の精霊として認められているようです。
そのことに本人は、まったく気が付いていないのですが。
しばらく進むと、赤い屋根の小さなおうちがひとつありました。
しかしその狭さに反して扉や窓から、ネズミのような子どもたちが無数に溢れています。
いち、じゅう、ひゃく‥‥
指で数えるように腕を上げてみましたが、その膨大な数に圧倒され、すぐに下ろしました。
カナンダモラは、ぼうっと子どもたちを見つめました。
数えきれない子どもひとりひとりに、すべてココロがあるのでしょう。
そのひとつひとつが苦しんだり、悲しんだりするのだから、大変です。
と、そこへ突然飛び込んできた一匹が、カナンダモラの顔へ飛びついてきました。
カナンダモラは小さな足をよろけさせて、その場に倒れこんでしまいましたが、
子どもたちはお構いなし。
先ほどの光景のように声を上げて泣きわめく、小さな赤ちゃんなのですから。
視界を遮られたカナンダモラには見えませんが、
ドタドタと忙しくこちらへ向かってくる足音がします。
子どもたちのケンカを止めるためにやってきた、大きな身体をした母親です。
母親は自分にそっくりな子どもたちの中にカナンダモラの姿を見つけると、
既に両腕に抱えた赤ちゃんもそのままに、
顔にべったりしがみついた赤ちゃんをベリッとひっぺがしました。
母親の名は、火の精霊ニーナ。
精霊界の中でもとりわけ子孫が多く、精霊の一生を以てしても数えきれないという噂です。
ニーナは子供たちを離し、向こうで遊んでいるように促すと、
仰向けになったままのカナンダモラを起こして、瞳を合わせるように屈んで言いました。
「おや、アンタは誰だい。
うちのチビたちと、遊びにでも来たのかい?」
「アソビニキタワケジャ、ナイモラ。
オメ、コドモノ『ココロ』ガ、ナクナッタラ、ドウオモウモラ?」
「アンタ。突然来て、突然こわい質問をするもんじゃないよ。
子どものココロが無くなって、どうも思わない親がいると思うのかい。
悲しいに決まってるだろ?」
ニーナは突拍子もない問いに面食らったように瞬きをしましたが、
答えは決まり切っているといった様子で、眉を下げて首を傾げます。
「カナシイナラ、『ココロ』ヲ、ステレバイイノニ、ナゼ、ステナイモラ?
ソシタラ、コドモモ、ナカナクテスムモラ。
『ココロ』ガナケレバ、カナシムコトモ、ナクナルンダモラ。」
「そうだねえ。もしも子どもが悲しみたくないからココロを捨てたいのに、
母ちゃんが悲しむせいで捨てられない”って言うんなら‥‥」
ニーナはまるで、カナンダモラを自分の子どものように慈しむようにして
その冷たい頭を撫でました。
「母ちゃんは喜んで、ココロくらい捨ててやるよ。」
カナンダモラは、誰かに頭を撫でられたことなどありませんでした。
ニーナのふわふわと、少しお乳の匂いのするあたたかい体温が、
固い鉄の帽子を通して伝わってきた気がしました。
子どもは母親のためにココロを捨てられないのに、
母親は子供のためにココロを捨てられるらしい。
子どもは早く、大人になればいいのに‥‥と、カナンダモラは思いました。
クルシンデ、ナククライナラ、ミンナ『ココロ』ナンカステレバイイモラ。
ソレガイチバン、ラクチンモラ。モラー!
そんな話をしている間に、ニーナは自身にしがみ付いていた赤ちゃんたちを
すっかり寝かしつけていました。
あんなに泣いていたのに、お母さんの力は偉大なのですね。
カナンダモラはカナンダモラで、その答えを聞いたかと思えば
挨拶もなくあっさりと踵を返してしまいます。
「もう帰るのかい?
ごめんね。この子達が起きちまうから、母ちゃんお見送りできないよ。」
「ゼンゼン、ヘイキモラ。
カナンダモラ、カナシクナイモラ。ヘッチャラモラー。」
ニーナは姿が見えなくなるまで、大きく手を振り続けてくれました。
しかし、なぜニーナが少し悲しそうな表情を浮かべていたのか、
カナンダモラには、理解できませんでした。
***
カナンダモラは、ダラッサラとニーナ――ふたりが言っていた、ココロについて考えていました。
しかし考え続けてみても、答えは見つかりません。
手を上げろと言われたら、手を上げる。
前へ進めと言われたら、前へ進む。
言われたとおりにするだけで、あとは何も考えない。
カナンダモラは、重たい帽子揺らしながら歩きました。
歩くたび、カラカラと小さな音がします。
身体の中身は空洞で、どうやら小さなネジや破片が外れているようです。
「フッ‥‥俺に会いに来たのか? 見知らぬ子猫よ。」
突然背後から不自然にニュッと伸びてきたバラに、カナンダモラは反射的に振り向きました。
そこには片手に赤いバラ、片手に鏡を持った精霊がウインクしています。
火の精霊、リュリウイ。
過信を司る精霊で、まさにその所作がその由縁なのでしょう。
「オレ、コネコジャナイモラ。オメ、ナニヤッテルモラ?」
「フッ‥‥見れば分かるだろう。
俺の美しい顔を見ていたところだ。」
「オメ、『ココロ』ハ、ヒツヨウダト、オモウモラ?」
「‥‥おい、ヒトの話を聞かん子猫だな。まぁいい。
ココロが必要か? ‥‥か。難しい質問をするじゃないか。」
リュリウイは顔にかかった前髪を避けてから、少し呆れたような表情でため息を吐き、
顎に手を当ててしばらく考え込んでしまいました。
カナンダモラは近くにあった切り株にぴょんと飛び乗ると、
指揮棒のように木の枝を振って暇をつぶしながら待ちました。
「――いや、必要ないな。」
「ナゼモラ?」
「俺の魅力は、ココロの有無に捉われない。
どんな相手でも魅了してしまうのさ‥‥。」
「‥‥。」
カナンダモラはココロがありませんが、もしココロがあったとしても
きっと魅了されないだろうと思いました。
カナンダモラの沈黙で問答が終わるったところへ、透き通る歌声が聴こえたかと思えば、
リュリウイ目がけて一羽の鳥が舞い降りてきました。
「あなた~♪ もう来ていたのね~♪
今日も~♪ あたしの美声を~聴きなさい~♪」
可愛らしい顔に、美しい翼。
そして天使と紛うような歌声‥‥が少しやかましいことが有名すぎて、
ガレキの山に住んでいたカナンダモラでさえ、その存在を知っていました。
光の精霊、メッソウです。
「あら~♪ 新しいお客さんだわ~♪」
メッソウは嬉しそうにくるりと回って、光を纏った翼を前に差し出してお辞儀をしました。
カナンダモラの鉛の瞳にその煌めきは眩しく映りましたが、それ以上の感情は表れませんでした。
「フッ、お前の客ではないみたいだぞ。
なんでも、ココロが必要かどうかを聞いて回っているみたいだ。」
「ココロ~♪ ああ~♪ そんなもの~関係ないわ~♪
あたしが~美しいのは~♪ 世の真理であり~♪ 真実なの~♪」
そのまま突発的にリサイタルが始まりましたが、
カナンダモラは歌に熱中するメッソウをよそに、さっさとその場をあとにしました。
***
ヤッパリ、『ココロ』ナンテ、カンケイナイモラ。
『ココロ』ナンテ、ヒツヨウナイモラ。
『ココロ』ナンカヲ、モッテイルカラ、ヤッカイナンダモラ。
いったい誰が、ココロなんか作ったのでしょう。
そんなものを持っていても、いつか傷つくだけなのに。
無数の傷がつき、ボロボロになっているカナンダモラの帽子。
物にはココロなんてないから、どんなに傷ついても泣いたりしません。
ココロを持たないから、長く持ち続けていられます。
悲しませることが、ないから。
きっと帽子もココロを持ったら、「捨てられたくない」と苦しむようになってしまいます。
そう、カナンダモラは思いました。
捨てられたくないと、思う『ココロ』。
悲しんだり、苦しんだりする『ココロ』。
物といのちの境界線は、どこにあるのでしょう。
カナンダモラは、考えます。
自分はもしかしたら『ココロ』はおろか、
いのちさえ無い“物”なのかもしれないと。
カナンダモラは、だんだんと思い出しました。
大きなガレキの山。
いらなくなった部品。役目を終えた、なかまたち。
いち、じゅう、ひゃく、せん‥‥
いらなくなった、じぶん。
捨てられたくない、かなしいというきもち。
いらなくなった、ココロ。
ステラレタクナイ、モラ。
『ココロ』ガ、ナインジャナクテ、
オレガ『ココロ』ヲ、ステタモラ。
「オレハ、ゼンマイヲマワシテ、ウゴク。
ブリキノ‥‥ヘイタイ、ダッタ‥‥モラ。」
カランカラン。
ハジメマシテ!
オレハ、オメノ、トモダチ!
アレレ? ソウカ
オレハ、モウイッカイ‥‥
オレハ、カナンダモラ、カナンダモラ、ラ、カナンダモラカンダナモラカナダンララララ‥‥。
カナンダモラは
こわれてしまいました。
小さな身体に、抱えきれないほどの何かが‥‥
カナンダモラを、重く、重く、押しつぶしてしまったのです。
***
長い時の間、どのくらい眠りについていたのでしょうか。
瞳を開けると、桃色に包まれた景色が一面に広がっていました。
あたたかい日差し、気持ちの良い春の陽気が、小さなガラクタを包みます。
「‥‥‥‥。」
いつの間にか満開になっている桜の木の下、
小さなつぼみがふたつ、ふよふよと浮きながらカナンダモラを見ていました。
「あれは、ひのせいれいの、カナンダモラです。
ぼくとおなじ、ひのせいれいです。こころがないの、かわいそうです。」
「こころがあれば、いっぱいわらうことができるのに。
しあわせになることは、たのしいのに。カナンダモラ、かなしそうです。」
「カナンダモラはぼくみたいに、
いっしょにいるひとがいないから、さびしそうです。」
「それなら、カナンダモラといっしょにいたら?」
「きっと、たのしいです。」
「こころがあると、たのしいです。」
サクラのつぼみがゆっくりと、
すやすや眠るカナンダモラに近づいてゆきます。
優しく吹く、春風。それは、精霊界における春の訪れのようで‥‥。
小さなガラクタに、とびっきりのプレゼントを運んでやってきたのです。
カナンダモラ。カナンダモラ。ホーホケキョ。
~おしまい~