”精霊は実態をもたぬものとして、「形ないいのち」と称される。
かつて形異なるいのち同士の血を分け、俗信を破ったものがいるというが、
今に残る明確な記録は無いため、あいまいな記述は割愛とする。”
[精霊の敬愛事由/著・ドロゥジーより引用]
***
「ドリアリー様。
お茶の準備ができましてございます。」
自然の加護を受けた森林には色とりどりの花が咲き乱れており、その中心には華やかに彩られたガーデンが広がっている。
ここ風の聖域は、精霊王と呼ばれる、風属性の長が統べる安息の地である。
精霊王には、ひとり娘がいた。名をドリアリーと言う。
うら若き乙女と呼称するに相応しく、花が咲いたかのように眩しい少女は、森のみなに愛されていた。
また同じく、彼女も森に生けるすべてのいのちを、分け隔てなく愛していた。
「本日のフレーバーは、野に咲き始めた美しき薔薇でございます。
ドリアリー様、いかがでございましょう。」
精霊王及びドリアリーに仕える執事のグリンシンズが、
自慢の紅茶の解説をしながら椅子を引き、主を座らせてからトレーを片手に往復する。
大木の切り株で作られたカフェテーブルに、繊細な装飾の施されたソーサーとティーカップ。
濃桃色に輝くフラワーティーに鼻を澄ませ、気品良く広がる花の味わいに浸る。
「ええ、とってもおいしいわ。ありがとう、グリンシンズ。
私、あなたが淹れるお茶が一番好き。」
「この身に余る幸せにございます、ドリアリー様。
お茶がお済みになられましたら、精霊王様の御前へお向かいくださいませ。」
華やぐ芳香に満ちた庭園でのティータイムは、いつでも気持ちを優しくさせてくれる。
他愛ない会話を愉しむと、執事に挨拶をしてから父の元へ足を運んだ。
森を形成する緑のひとつひとつには、小さなものから大きなものまで、すべていのちが司っている。
精霊たちはドリアリーの姿を見るなり頭を下げ、彼女もそれに返し微笑んで手を振った。
慈愛に満ち優しい風の少女は、誰からも母のように慕われているのだ。
今日も変わらぬ朝。大好きな紅茶に、大好きなみんなに、感謝の祈りを。
――瞬間。
ドリアリーの目の前を、突然何かが転げ落ちていく。
それが何かを認識するまでの時間など微塵もなく、数秒呆気にとられた後に聞こえたドサッという鈍い音に我に返り、ドリアリーは急いで坂を下りた。
坂の上からくっきりと続く長い痕跡の果て、うっすらと拓けては木漏れ日が差し込む湖のほとりに――
見慣れぬ少年の姿があった。
小柄でまるまるとしており、一見すると子供のようにも見える。
枝に引っかかったのか服は破れ、擦り切れた肌には無惨にも生々しく傷を負っている。
治癒効果のルーンを持たないドリアリーには直ぐに傷を癒す手立てはなく、
とにかく駆け寄ってはしゃがみ込み、倒れ伏した少年の様子をじっと見つめた。
少年から風の息吹を感じないこと――そもそも彼が精霊ではないことは、すぐにわかった。
聖域は、元来形ないいのちである精霊以外は、踏み入ることができない。
また仮に精霊であっても、森の加護する力を纏うもの以外は、父の許可無くしては入れないはずだ。
この少年は、いったい何者なのだろうか。
ふっくらした頬が土に汚れているのを見るなり、細い金髪を指先で避けてやると、
さらりと流れた髪の毛の間からは端正な目元が覗き、ドリアリーは反射的に手を引っ込めてしまった。
すやすやと安らかな呼吸を繰り返しており、どうやらいのちに別状はないらしい。
何度か深呼吸をしてから胸の前で握りしめていた手を解き、もう一度、彼の肌に触れた。
滲んだ血が痛々しく、指先で拭う。自身の白い手が汚れてしまうことも、不思議と厭わずに。
「‥‥? あら?」
指先が血に汚れる感触が、ぬるりとしたそれとは違い、何か少し、ざらりとした‥‥。
よく見ると、傍らには様々な色の敷かれたパレットと絵筆が散乱していた。
その向こうには風にさらわれたスケッチブックが、ぱらぱらと音を立てて捲れてゆく。
「――う、ん……。」
木々のざわめきに交じり、少女と言っても過言ではない中性的な掠れ声が聞こえた。
開いた瞼からうすら光るその瞳は、今朝の薔薇紅茶のように赤く、深く、色づいている。
少年は意識が覚束ないまま身体を起こそうとしたが、糸が切れたように再びその場へ倒れてしまう。
地面から見上げる青い空に届いてしまいそうなほどに高く茂った緑を背に、美しい守り人の姿を視界にようやくとらえると、彼は眩しそうに眉をひそめ、自問自答のように問いを口にした。
「俺は‥‥。どうしてここに‥‥?」
声を出すだけで全身が蝕まれたかのように、じんじんと痛む。
頭を強く打ったのか、彼はここがどこなのか、なぜ自分がここにいるかをすぐに思い出すことができないらしい。
「あっ‥‥! あれは!」
突然声を上げた少年の視線の先にあったのは、白紙のページが開いたままのスケッチブックだった。
さわさわと優しい風が吹き、今にも端が捲れてしまいそうなのを見ると、
冷水を頭から浴びたように目を開き、怪我をしているのが嘘のように表紙を思い切り閉じた。
その一部始終にドリアリーは二三度まばたきをし、すぐに鈴が鳴るような心地よい声で、くすくすと笑った。
「す、すみません! 風が吹いたので、つい。
‥‥もしかして、この中を見てしまいましたか?」
「いいえ、勝手にそんなことしていないわ。
でも、いったい何を描いていたの? そんなに見られたくない絵?」
「そう言われれば、そうですね。習作は、誰しも恥ずかしいものですから。」
まるで、深緑の象徴のような。
突然に目の前に現れた神秘的なその姿に少年は暫し言葉を失い、柔らかに吹かれる緑のヴェールを盗み見た。
「あの、あなたはいったい――」
その後に続くべき言葉をかき消すように、木々がざわめく。
「いいえ、どうか聞かないで。」
小さく首を振り、微笑むとも、悲しむとも取れないような切ない表情で、ドリアリーは言った。
その答えが、きっとすべてなのだということを、少年も理解した。
彼女の名前も知らないけれど、その優しさは乾いた砂に落ちる水のように染みわたっていた。
「‥‥わかりました、森のひと。
ならば互いに、多くは語らないでおきましょう。ただ、」
「ただ‥‥?」
「ただ、俺は‥‥
あなたのことを、知りたいと思ってしまいました。」
「‥‥。」
ドリアリーは何も答えず、瞳を伏せたまま、黙って手当てを続けた。
すり潰した薬草に即効性はないが、何日か治療を続ければ回復の見込みはあるだろう。
もう行かないと、と言い残し、ドリアリーはその場を後にした。
彼がどんな顔をして、自分の背中を見つめていたか、想像もできない。
明日、彼が同じ場所にいるかはわからない。
明日、彼女が同じ場所にくるかはわからない。
でも、なぜか。
また明日も会えると、ふたりは思った。
***
精霊界には、掟がある。
精霊である「形ないいのち」と、精霊ではない「形あるいのち」における禁忌。
それは、恋に落ちること。
精霊王の一人娘であるドリアリーは、幼きころから父に固く教え込まれてきた。
禁忌を犯せば、その代償に大切なものを失うことになると。
そうならぬよう、ドリアリーは森から出ることを許されていなかった。
聖域の森は美しい。
けれど、まだ見ぬ外の世界は、きっともっと美しい。
彼は、どんなところに住んでいるのだろう。
いつも、何をしているのだろう。
名前は、なんていうのだろう。
グリンシンズの淹れた紅茶を飲みながら、ドリアリーは物思いに耽った。
白薔薇の紅茶は、昨日の赤薔薇の紅茶とはまた違い、仄かに橙に色づいている。
輪切りの柑橘に添えられた花びらから、薔薇に囲まれた彼の香りを思い出す。
控えめにはにかむ少年の表情が、紅茶に溶ける砂糖のように、甘く脳裏に浮かんでは消えていった。
「グリンシンズ、包帯の巻き方を教えてもらえないかしら。
それと、もうひとつ‥‥。」
***
陽が昇ったころ、ドリアリーはなんとなく大きく深呼吸をした。
いつもと同じ道もなぜか昨日とは違って見えるようで、気持ち足取りさえ軽くなる。
風の声と共にハミングしながら密生した木立の間を抜けると、湖のそばにその姿はあった。
陽の光を反射する金髪は、広がる草花の中に落ちた宝石の欠片のように見え、つい眩しげに瞳を細めてしまう。
「ごめんなさい、遅くなってしまって。お腹、空いたでしょう?」
「そんな。俺は大丈夫です。
それに、動物たちが世話をしてくれましたから。」
未だ上半身を起き上がらせるのがやっとなせいで草のベッドに寝ころんだままだが、
昨日まではいなかったはずの子リスが、ちょろちょろと少年の腹を上ったり下りたりしている。
ドリアリーの知る限り、この森に住む小動物たちは好奇心旺盛である反面、警戒心が強いはずだが、
はじめて森に踏み入り、ましてや精霊でもない彼に懐く様子に、驚くや否や感心する他なかった。
ふと草陰からもう一匹の子リスがせかせかと走り寄ってきて、傍らに積まれていたドングリの山へひとつ、もうひとつと乗せてゆく。
木の実や果実も混ざっており、きっとリス以外の動物も、彼のために食料を持ち寄ったのだろう。
ドリアリーは残念なような、少し安心したような表情を浮かべ、ほっと息を吐いた。
その様子を見た少年はまだ痛む身体を少しだけ起こし、何か言いたげな彼女に首をかしげて尋ねる。
「‥‥? どうかしましたか?」
「いえ、なんでも‥‥きゃっ!」
自身の心中を見破るかのような問いかけに細腕を後ろに回すと、反応した子リスたちが過敏に群がる。
本来ならば間に入るべきだったが、白薔薇に囲まれて小動物と戯れ合う可憐な少女の様子は、
まるで自分など指先でさえ介せない絵画のように見えて、少年の影を縫った。
暫く続いたドリアリーの小さな抵抗も虚しく、可愛らしくリボン結びのされた葉包みを咥えた子リスが顔を出す。
もう、こうなってしまったのなら仕方がない。
くんくんと鼻を擦りつけるリスたちが包みを開けようとするのを見ると降参の意を込めて、ドリアリーはしゅるりと紐を解いた。
「これは‥‥。」
何枚も葉で丁寧に包み隠されていた中身は、木の葉型の小さなクッキーだった。
少年が感嘆の声を漏らすと、ドリアリーは林檎のように過剰なほど頬を紅潮させてしまう。
その理由は他でもなく単純だった。
ところどころ形が崩れていたり、表面が焦げてしまっているものばかりで、お世辞にも美しいとは言えない出来だったからである。
きっと空腹だろうと勇気を出して作ってみたものの、あまりにも技量に乏しすぎた自分を恥じながら、
小さな声で何度もたどたどしい詫びの言葉を並べるも、自身でも何を言っているのか段々と分からなくなってくる。
「ご、ごめんなさい。私、あまりこういうのが得意じゃなくて‥‥。
でも、お腹がいっぱいならよかっ――」
すべてを言い終わらぬうちに、少年は手を伸ばして躊躇なくクッキーを口にした。
信じられないと硬直したドリアリーの瞳を捉え美味しいと頷き、ドリアリーの弁解など無かったことにしてしまうように、菓子に興味を示す子リスを肩に乗せて呟いた。
「自分で言うのもなんですが、昔から動物には好かれやすいんです。
‥‥こら。これは俺がもらったのだから、お前たちにはやらないぞ。」
おこぼれを求める子リスのヒゲにくすぐられると、少年は歯を見せて、あどけなく笑う。
たったそれだけでも、彼が動物に好かれる理由がドリアリーにはなんとなく理解できる気がした。
嘘のない言葉や純粋な感情表現を前に、動物たちが威嚇をする必要はない。
自分も少年のことを少しずつでも知りつつあるのだと思えて、ずっと近くにいるように感じる。
「なんだか、まるであなたが動物みたい。」
「俺が? なぜです。」
「それは、ヒミツ。」
華奢な人差し指を自身の唇に当てていたずらに笑うドリアリーを見て、ずるいひとだと笑う。
相手が笑えば、互いに楽しくなる。単純なことだが、それが何よりも嬉しい。
少年は最後のクッキーを口にすると、今度は少し照れくさそうな顔で頭を下げた。
「ごちそうさまでした。美味しかったです。」
「‥‥もう、付いてるわ。」
改めて言われるとこちらも妙に気恥ずかしく、ドリアリーは礼の言葉を返すことができなかった。
それが悔しくて、代わりに残った菓子の粉を拭うように、少年の唇を指先でなぞって見せた。
クッキーの残り香に交じり、ふわりと何か、甘い肌の匂いを憶える。
語られぬことのない、ふたりだけの時間だった。
グリンシンズの生けた白薔薇が満開に咲いた秘密の花園で、誰にも知られぬ彼と逢瀬を交わすたび、
何か表現しがたいものが湧いて、ココロがじんわりとあたたかくなる。
感じたことのない、どこか痛いくらいの、切なくて、噛んだら弾ける果実のような、複雑な感情。
どき、どきと、胸が高鳴るのが分かる。
晴れやかすぎる木漏れ日のせいにして、今はまだ気づかぬふりをした。
***
あくる朝、自然の恵みが木々を濡らした。
森はかえって静寂と化し、打って変わってしとしとと降り続ける雨音しか聴こえない。
雨足が途絶えることはなさそうだと自然界の精霊たちに教えてもらうと、やはり心配になって庭を離れようとするが、ふいに何かがドリアリーを影で覆った。
「ドリアリーよ、浮かない顔をしているな。」
「ジンディン‥‥。」
背後から、馴染みある低い声によって呼び止められる。
ジンディンと呼ばれたその精霊は、ドリアリーより少しばかり年上で、親同士仲が良く精霊王を第二の親と呼べるほど旧知の仲だ。
いつも気にかけてくれる優しい幼馴染の言葉に、ドリアリーはかぶりを振った。
「ううん、平気。大丈夫よ」
振り向きざま何時ものように笑顔で気丈に振舞うも、刹那、物憂げな表情に変わる。
ジンディンは、幼いころからずっとドリアリーの隣にいた。
さりげない仕草や言葉の変化で、彼女が何を考えているかは手に取るようにわかる。
そもそもそれは長い年月を共にしているせいだけではないのだが、ジンディンには分かってしまう。
だからこそ、彼にとっては辛かった。
このところのドリアリーは、何かが変わった。
よく笑うようになった代わり、自分の踏み入る領域がないかのような横顔も垣間見るようになった。
もうひとつ――自分の利己的な想いを除いてといえば正直嘘になるが――何より、自分と過ごす時間が減っていた。
「お前のことだ、深く詮索することはしない。
だが、私に力になれることがあるのなら、言ってほしいのだよ。」
「――ねぇ。例えばあなたが誰かに、何か伝えたいことがあるとするわ。
でもそんなとき、どうしても言葉が見つからなかったら‥‥ジンディンはどうする?」
「‥‥。」
その問いに、ジンディンは組んでいた腕を解き、低い位置にあるドリアリーの頭をガシガシと撫でた。
ジンディンもまた、言葉が見つからないのだと。それは、そういう答えでもあった。
「きゃっ! もう、何するの。
‥‥ありがとう、ジンディン。やっぱり、あなたはいいひとだわ。」
幼いころから、変わらぬやり取り。
からかい、からかわれ。まるで同じ種子から生まれた家族のような、仲睦まじい関係。
ドリアリーに、すぐにいつもの笑顔に戻った、ように見えた。
だが、どこか違うのは。
その笑顔の先にいるのが、ジンディンの知らない誰かということだ。
まったく、私はどこまで”いいひと”なのだよ。
華やぐ白薔薇を整えなおしてやりながら、ジンディンはひとり自嘲した。
それでも、ドリアリーの幸せを願う――哀れな男だと。
***
陽の昇るべき頃合いになっても、空を覆う暗雲は晴れそうにない。
昨晩から天が落とす涙のようになだらかな雨が降り続け、湖は数多の円を描きながらみなもを揺らす。
生い茂る木々たちは露を浴びて、地は草木の根から天涙を授かり、恵みの賛歌を唄っている。
少年はしんと冷え込む外気を避けるため、おおかた回復した脚で大木の根元に移動し雨宿りをしていた。
降りしきる雨足をぼうっと眺め無常に流れる時を過ごすほかはなく、両の手を擦り合わせ、白い息を吐きながら身震いする。
すでにすっかり雨に侵食された衣服に身体は冷えてゆき、このまま眠りについてしまいそうな気がして、何か、とパレットを手に取ると、濡れた絵の具が滲み広がっていた。
さまざまな色が相性も考慮せず混ざり合う様は、複雑な自身の心の映し鏡のようでもあった。
あの甘い味を思い出して、手元に残った包み葉を開いてみる。
濡れ濡れて弱る少年を励ますように、飴玉のような丸い雨粒が数個ふるふると震えた。
少年は小さな雫の中に、いとおしいひとを見た。
彼女を感じることができる唯一のそれを唇に近づけ、目を閉じる。
すると、頭上から打ち付けられていた整然たるリズムが同時にぱたりと消えた。
一瞬にして雨が止んだかと顔を上げると、しっとりと露を伝わせたドリアリーがそこにいた。
雨空の下、ふたりを護るように大きな蓮の傘がかざされ、肩を並べて座る。
「こんな雨の中‥‥どうして、来たのですか。」
「ヒミツ。聞かないで、と言ったでしょう?」
「はは、そうでした。」
雨は暫し止みそうにない、とドリアリーが告げると、少年は、はいと返した。
やまないかわりに、激しくなる気配もない。
陽光を浴び青々と茂る森とは異なり濡れて輝く今の景色も別の顔のようで、言葉にはしがたい崇高さがあった。
「もう、だいぶ足も治ってきました。あなたのおかげです」
「よかった。
これであなたも、もう自由になるわ。」
「‥‥。」
「‥‥。」
しとしとと、雨が木々を打つ音だけが響く。
長い沈黙は、やがて少年の声で破られた。
「そうですね。」
美しい白薔薇からぽたりと雨粒が垂れ、ドリアリーの頬に一筋、つと、伝い落ちた。
彼女はそれを拭うと顔を伏せ、両手の平で瞳を覆う。
その仕草を少年は目で追うが、何も言わず隣に座ったまま。ただ、雨が降るのを見ていた。
怪我が治るように願っていたはずなのに、その時が来てほしくないと思ってしまった。
なんて自分勝手なのだろう。
足の怪我が治ってしまえば、彼が留まらなければならない理由はなくなり、
会いに行く理由がなくなってしまう。
精霊ではない少年を、いつまでもこの森に置いていくわけにはいかないことを。
帰さなければいけない場所があることを、ドリアリーは忘れたわけではなかった。
けれど行かせたくはない。
分かっているのに、彼と離れたくない。
いつか来る、最後の別れ。
私は、何を伝えればいいんだろう。
でも、この気持ちを伝える言葉が見つからないの。
お父様を想う気持ち。
ジンディンを想う気持ち。
森のみんなを想う気持ち。
そのどれとも、あなたへの「想い」は違って。
ただ、胸が苦しくて。
本当は私のことを、もっと知ってもらいたかった。
あなたのこと、教えてほしい。
お互いのことを、たくさん話したい。
たとえ、どんな罰が待っていようとも。
「また明日、」
「はい。また、明日。」
明日も、あなたに会いたい。
~後編へつづく~
***
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